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アイテム詳細
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
湘南ダディは読みました。
(2008-01-20)
私達は「自らの死」というものを日常意識することはあまりありません。近親の死に遭えば、その者を亡くした悲しみにひしがれますが、それにしても自らの死ではないわけです。だれにも一時間の後に交通事故で死亡する可能性がありながら、死はいつでもそこにあるものとして意識されることはありません。だからこそ「凍」を読んで深く感動するのだと思います。ここに描かれているのは、目前の自己の死と対峙しながら自らの意志と行為で生に帰還するすさまじいばかりの勇気の記録です。
世界には8000メートルを超える高峰が14座あり、名をあげようとするアルピニストはこぞってこれらに挑戦するわけですが、それよりわずか数十メートル足りないだけで注目をされてこなかった中国ネパール国境のギャチュンカンは、それ故にこそまた中国名百雪谷の意味するとおり、ルートも開発されていない難攻の山なのだそうです。ここに山野井泰史、妙子夫妻が登頂を試み、結局体調の悪い妙子は残して泰史が成功はするものの、下降(登るより降るほうが技術的には難しいのだそうです)時に悪天候に遭遇し、繰り返し雪崩にあい、零下40度の中で妙子は宙吊りになり、風雪の中でビバークをするも防寒具を失い、6日間の壮絶な闘いの果てに生還するのです。この間2人は、はなればなれになり酸素不足で視力は落ち、幻影に襲われたりするのですが、常に相手の生存を確信し続け自らの生存のため死力をつくして生還への歩みを続けます。
泰史は両手5指、右足指全部、妙子は両手指全部を凍傷で失なってしまうのですが、それでも山への挑みはつづけられ後日談ですが泰史はその後別の難峰への単独登頂に成功しています。
読み終わって人間はここまで頑張れるのだという勇気が知らずに沸いてくる気がします。私はこの本を手元に置き、かりに私が難局に立ち向かえずくじけそうな時にはこの本を読み返して自らを勇気づけようと思います。
山の厳しさ、恐ろしさと一組の夫婦
(2008-01-13)
本書は山を愛し、山に魅せられ、しかし表舞台に出る事を好まなかった一組の夫婦の物語です。
登山が、命を賭けたものであり、どれだけ過酷なものなのか、は多くの人が語り尽くしていたように思っていましたが、ここに夫婦というキーワードが入る事で新たな奥行きが物語に付加されています。
ギャチュンカン登攀後にこの夫婦を襲う自然の過酷さと、それを飄々と受け入れる人間の太さに圧倒されました。
それにしても、ここまで人生において打ち込めるものがあるというのは、うらやましい事だと思いました。
それをやらないと生きてはいけないというもの
(2006-11-11)
読みながら何度もため息をついた。
僕は登山家でも何でもないので 命を懸けて山に登るという行為がどうしても理解できない。いや「懸けて」ではなくて「賭けて」という漢字のほうがふさわしい。
「そこに山があるからだ」というのが 有名な人が言った「答え」とも聞くが それにしても この「凍」という本で描かれる夫婦の挑戦は凄まじいものがある。
阿部謹也という中世史家がいた。先日惜しいことに亡くなったが 彼は史学を選ぶに際し「それをやっていなかったら生きていけないというテーマを探しなさい」と教師に言われたという。
それと正しく同じ事を 山野井夫妻は 山に登るということで表現している。彼らは山が無かったら生きてはいけないという点が ひしひしと感じられる。
自分を振りかえる。自分にとっての「山」は何なのか。「それをやっていなかったら生きてはいけないもの」は 果たして自分にあるのか。
そんな厳しい問いかけを迫られる。それが本書だ。
夫婦の愛情のおはなしです。
(2006-10-29)
以前から沢木氏のファンで、TVのドキュメンタリー番組で山野井夫妻も見て知っていたので、書店で見てすぐに買い、一気に読んでしまいました。
山野井夫妻のギャチュンカン登頂の記録と思って読み始めましたが、泰史氏の妙子夫人に対する愛情が端々から感じられて、あーこれは山野井夫妻の夫婦の物語だと思いました。極限の状態でも相手のことを考え、それでいてそれのみになることもなく(プロの登山家なら当然なのかもしれませんが)、最善の方法を考え生還を果たした山野井夫妻はほんとにすごいと思いました。
結婚前に、泰史氏が少年の頃ポケットに虫を入れて、それがガサゴソする音が〜と話し、妙子夫人が聴いてるエピソードなども良かったです。
予想どおり、だけどよい。
(2006-05-31)
この本を手にとって、しまったと思いました。登山開始後数ピッチの苦しさに似ていました。辛い出来事が待っているのにもう引き返すことができないと感じたのです。
山野井夫妻の奥多摩生活や妙子さんの手については、テレビで見知っていました。何とすごい夫婦なのかと驚嘆の念を禁じえません。沢木耕太郎がこの二人を対象とした理由は分かりすぎるほど分かりますが、内容・出来栄えにこれほど意外性のない沢木作品も少ないでしょう。つまり、予想どおりだったのです。
ギャチュンカン北壁は予想どおり困難な壁であり、ビバーク、雪崩、凍傷といった困難に次々に襲われます。そして奇跡の生還、これも知っていることですから意外性はありません。
それでもなお、この本が私を泣かせてしまったのは、実は山野井の母が語る一言だったのです。ギャチュンカンから下山した妙子の指を見た義母は、この子らの面倒を一生見なければならないと思うのです。山のためには凍傷なんてと考える夫妻との強烈な対比が、ここに凝縮されています。
おすすめ度:
湘南ダディは読みました。
私達は「自らの死」というものを日常意識することはあまりありません。近親の死に遭えば、その者を亡くした悲しみにひしがれますが、それにしても自らの死ではないわけです。だれにも一時間の後に交通事故で死亡する可能性がありながら、死はいつでもそこにあるものとして意識されることはありません。だからこそ「凍」を読んで深く感動するのだと思います。ここに描かれているのは、目前の自己の死と対峙しながら自らの意志と行為で生に帰還するすさまじいばかりの勇気の記録です。
世界には8000メートルを超える高峰が14座あり、名をあげようとするアルピニストはこぞってこれらに挑戦するわけですが、それよりわずか数十メートル足りないだけで注目をされてこなかった中国ネパール国境のギャチュンカンは、それ故にこそまた中国名百雪谷の意味するとおり、ルートも開発されていない難攻の山なのだそうです。ここに山野井泰史、妙子夫妻が登頂を試み、結局体調の悪い妙子は残して泰史が成功はするものの、下降(登るより降るほうが技術的には難しいのだそうです)時に悪天候に遭遇し、繰り返し雪崩にあい、零下40度の中で妙子は宙吊りになり、風雪の中でビバークをするも防寒具を失い、6日間の壮絶な闘いの果てに生還するのです。この間2人は、はなればなれになり酸素不足で視力は落ち、幻影に襲われたりするのですが、常に相手の生存を確信し続け自らの生存のため死力をつくして生還への歩みを続けます。
泰史は両手5指、右足指全部、妙子は両手指全部を凍傷で失なってしまうのですが、それでも山への挑みはつづけられ後日談ですが泰史はその後別の難峰への単独登頂に成功しています。
読み終わって人間はここまで頑張れるのだという勇気が知らずに沸いてくる気がします。私はこの本を手元に置き、かりに私が難局に立ち向かえずくじけそうな時にはこの本を読み返して自らを勇気づけようと思います。
山の厳しさ、恐ろしさと一組の夫婦
本書は山を愛し、山に魅せられ、しかし表舞台に出る事を好まなかった一組の夫婦の物語です。
登山が、命を賭けたものであり、どれだけ過酷なものなのか、は多くの人が語り尽くしていたように思っていましたが、ここに夫婦というキーワードが入る事で新たな奥行きが物語に付加されています。
ギャチュンカン登攀後にこの夫婦を襲う自然の過酷さと、それを飄々と受け入れる人間の太さに圧倒されました。
それにしても、ここまで人生において打ち込めるものがあるというのは、うらやましい事だと思いました。
それをやらないと生きてはいけないというもの
読みながら何度もため息をついた。
僕は登山家でも何でもないので 命を懸けて山に登るという行為がどうしても理解できない。いや「懸けて」ではなくて「賭けて」という漢字のほうがふさわしい。
「そこに山があるからだ」というのが 有名な人が言った「答え」とも聞くが それにしても この「凍」という本で描かれる夫婦の挑戦は凄まじいものがある。
阿部謹也という中世史家がいた。先日惜しいことに亡くなったが 彼は史学を選ぶに際し「それをやっていなかったら生きていけないというテーマを探しなさい」と教師に言われたという。
それと正しく同じ事を 山野井夫妻は 山に登るということで表現している。彼らは山が無かったら生きてはいけないという点が ひしひしと感じられる。
自分を振りかえる。自分にとっての「山」は何なのか。「それをやっていなかったら生きてはいけないもの」は 果たして自分にあるのか。
そんな厳しい問いかけを迫られる。それが本書だ。
夫婦の愛情のおはなしです。
以前から沢木氏のファンで、TVのドキュメンタリー番組で山野井夫妻も見て知っていたので、書店で見てすぐに買い、一気に読んでしまいました。
山野井夫妻のギャチュンカン登頂の記録と思って読み始めましたが、泰史氏の妙子夫人に対する愛情が端々から感じられて、あーこれは山野井夫妻の夫婦の物語だと思いました。極限の状態でも相手のことを考え、それでいてそれのみになることもなく(プロの登山家なら当然なのかもしれませんが)、最善の方法を考え生還を果たした山野井夫妻はほんとにすごいと思いました。
結婚前に、泰史氏が少年の頃ポケットに虫を入れて、それがガサゴソする音が〜と話し、妙子夫人が聴いてるエピソードなども良かったです。
予想どおり、だけどよい。
この本を手にとって、しまったと思いました。登山開始後数ピッチの苦しさに似ていました。辛い出来事が待っているのにもう引き返すことができないと感じたのです。
山野井夫妻の奥多摩生活や妙子さんの手については、テレビで見知っていました。何とすごい夫婦なのかと驚嘆の念を禁じえません。沢木耕太郎がこの二人を対象とした理由は分かりすぎるほど分かりますが、内容・出来栄えにこれほど意外性のない沢木作品も少ないでしょう。つまり、予想どおりだったのです。
ギャチュンカン北壁は予想どおり困難な壁であり、ビバーク、雪崩、凍傷といった困難に次々に襲われます。そして奇跡の生還、これも知っていることですから意外性はありません。
それでもなお、この本が私を泣かせてしまったのは、実は山野井の母が語る一言だったのです。ギャチュンカンから下山した妙子の指を見た義母は、この子らの面倒を一生見なければならないと思うのです。山のためには凍傷なんてと考える夫妻との強烈な対比が、ここに凝縮されています。
