アルパイン・ダンディズムあるいは、本物の山屋
「ヒマラヤを駆け抜けた男 佐藤 稔 著」より引用

 登山とは、徹底的に非生産的な営為である。何ものも作り出さない。何ものも 変えない。8000メートル峰の頂上に立ち、周囲の景観を眺めたところで、人類の 生活に何か新しいものがもたらされるわけでもない。 山は、人間の足で何度 踏まれようとあくまでも山であり、永遠に知らぬ顔を続ける。ときにスポンサー がつくことはあっても、それによって得られる見返りは、ことごとく登山活動の ために消費され、あとに何ひとつ残らない。

 家庭を持つ者は、その家庭を事実上捨てて出て行く。家庭は、山から山へ渡り 歩く途中、ほんの束の間、足を休める場所でしかない。そのわずかな間でさえ、 アルピニストたちは落ち着きを失う。自分が本来いるべきではないところにいる という焦りに駆られる。そのあげく、家中のカネをさらうようにして、再び一文 にもならぬ旅に出かけて行く。その山で命を落としたら、残された者はどうなる のか。そんなことを考えないでもないが、いくら考えたところで手の打ちようが ない。

 「オレは死んだりしないさ」

と気休めを言い残して、逃げるように山へ去っていく。

 アルピニストがしばしばエゴイストと呼ばれ、同じ水準でニヒリストと見える のは、そういうことがあるからだ。


  「もっと、遙かな山旅を」  「インターネットの独り言 」 
ここで一言